夏油温泉について

「隠れたる霊泉嶽の湯」明治44年3月12日から7回にわたって朝日新聞に連載された。
筆者理想閣生は左から7人目の人。雨具にゴザ、帽子はカサありカンカン棒あり様々。天下の名泉「はつ森の清水」(夏油から約3km地点)での写真。
当時着ゴザは第一級の登山装備。黒沢尻の駅(現:北上駅)から夏油温泉へ出発する際の集合写真
大湯の湧口。明治十二年に湯壺の再建を行った際岩に文字を刻んだ。
江戸時代の夏油温泉の宿の配置を表している温泉鳥瞰図。正面突き当りの奥に御役屋(現薬師館)があり、そこに至る道の両側に湯小屋が並んでいる。
大正時代の写真だが、温泉宿の建物配置は基本的に現在と全く変わっていない。
雪の被害で冬を越す度建物が建て替えられてもその配置はかわらず、石垣はもとより、薬師館・経塚館・紅葉館はほぼ当時のまま
大湯の湧口。明治十二年に湯壺の再建を行った際岩に文字を刻んだ。

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